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適正技術とは
シュマッハーの中間技術の概念
適正技術の概念はシュマッハーによって先駆的に打ち出された中間技術の概念が発端であると言われています。しかし、1973年に発表されたシュ マッハー著の『スモール イズ ビューティフル』を解読していくと、すでにシュマッハーが中間技術という用語法自体にゆらぎがあることに気づきます。
『スモール イズ ビューティフル』の中には、以下のように途上国の発展のために必要な技術として中間技術を定義する部分があります。
しかし、その一方で同著のもっと後の年代に書かれたと見られる章には、別の観点から中間技術が定義されています。
シュマッハー以降の適正技術論の変遷
それ以降も70年代を通じて、UNIDO、OECD、ILOなどさまざまな国際機関や公的機関がそれぞれの立場から、途上国への技術移転の問題を 意識しながら適正技術を論じています。また、60年代後半から70年代にかけて公害や資源の枯渇、巨大技術と労働疎外など、近代科学技術がもたらすさまざ まな問題が指摘されるようになると、それに対する代替的な技術を提案するというコンテクストで「代替技術」や「ソフトエネルギー」などが論じられるように なります。このような途上国における開発という側面からの適正技術と、近代技術に変わる代替技術という側面からの適正技術は、80年代の先進国では同一の ものとして論じられるようになりました。
80年代後半になると世界的な地球環境問題が注目を集めるようになります。今度は環境への負荷が少ないということを中核的関心としつつ「環境調和 型技術」「地球にやさしい技術」等のことばが生み出され、それと入れ替わるように、「適正技術」ということばを前面に出して論ずる機会はしだいに少なく なっていきました。しかし、実質的にはそれらの新語も、それ以前に論じられてきた適正技術や代替技術の概念と重なり合う部分が少なくありません。
私どもの考える適正技術とは
これまで述べてきたように、「適正技術」という言葉はそれぞれの論者により様々な意味合いで用いられていますが、ただひとついえることは「適正技 術」に属する技術群とそれに属さない技術群があらかじめ決まっているわけではないということです。何がその場にふさわしい技術であるかは、その場の条件と ニーズで当然異なるわけだから、例えば風車や水車といえばそれはいつでも適正技術ということにはなりません。逆に火力発電がかならず悪いかというとそれも いえません。ある場面の社会的経済的あるいは文化的条件やその場の必要性とセットになって、あるいは地球環境の全体性とのバランスのもとに、はじめてある 技術が適正かどうかが評価されるだけなのです。また近代技術をきびしく批判する立場に立つと、選択する技術も伝統的で土着的なものに限定されざるを得ませ んが、逆に近代技術にも一定の評価をする立場にたつと、技術選択の幅は広がる一方で近代技術の負の側面をいかにクリアするかという課題もかかえることにな ります。
このように「適正技術」は使い方に注意を要する言葉になってしまったが、その場の条件と要請に適した技術が選ばれるべきだという、当たり前であり ながら忘れられがちなことに注意を喚起していく点、また、近代技術の単純で無批判な導入とは異なる技術選択もあるのだ、ということをシンボリックに主張し やすい点に、このことばを使う意義はあると考えられます。適正技術研究所では、「それぞれの地域の社会的・経済的・文化的条件に適合的で、人々が広く参加でき、人々のニーズを的確に充たすととともに環境にも負担をかけない技術」 というほどの意味で「適正技術」という言葉を使っています。具体的な技術の様相や選択は、その時代のそれぞれの地域の条件で異なりますが、いわゆる「先進 国」にも「途上国」にも各々の適正技術が要請されるという立場です。もちろん、重要なことは適正技術を定義することではなくて、これからの社会に本当に必 要とされる技術、望ましい技術はどのようなものあるかを考え、それらを創出し広めていくことであると考えます。